平成16年10月23日から12月28日までの約2ヶ月間、職員は休日を返上し、日赤小千谷市現地災害対策本部(小千谷市)や日赤災害対策本部(新潟市)に交代で寝泊りをして救護活動を行いました。こちらは、活動の体験報告です。

新潟県中越地震を見て

新潟県赤十字血液センター
三浦 信二

 その時私は新潟市内の自宅アパートにいた。突然大きな揺れが起き、正直何が起こったのかわからなかった。すると、テレビから新潟県中越を中心にとする震度6の地震が発生したことがわかり非常に驚いた。幸い自宅には何も被害がなかったが、仕事場が心配になり赤十字会館へと向かった。仕事場も大きな被害はなく無事であったが、中越地方がかなりの被害をうけているという情報が入り、情報収集及び救援活動の応援ということで長岡赤十字病院へと向かった。

 長岡市に入ると、所々で停電しているところがあり、どうなってしまっているのだろうとたいへん不安になった。しかし、病院も大きな被害はなく安心した。その後、各市町村が避難をしているということで、毛布を各市町村に届けることとなった。その作業は翌朝まで続いたが、時々起こる余震に不安になりながらの作業であった。しかし、次の日今回の地震が大災害であることを思い知らされることとなった。
 
 地震発生から2日目。夕方から被害の大きい小千谷市へ救援活動にいくこととなった。高速道路が通行止めのため長岡市から下道を通って小千谷市にはいることとなったが、小千谷市に近くなるごとに明かりが少なくなっていき、また余震の不安から家の外で焚き火をして避難している人たちを何人か見かけた。そして、小千谷市にはいった瞬間、それは想像を絶する光景を目にした。小千谷市内は完全に停電、電柱はかたむき電線がたれ、道路は陥没または隆起し、マンホールはとびだし、壁がはがれ落ちている建物、倒壊している建物………、それはなんとも言いようのならないほどひどく、今でも目に焼きついているほどの光景であった。夜には小千谷市役所に到着し、私は日本赤十字社の災害対策本部として状況把握及び連絡調整をすることとなった。 

 地震発生から3日目。早朝、突然震度5の地震が発生した。仮眠をとっていた私は飛び起きた。夜中にも小さな余震は何度かあったが震度5は比べられないほど大きな揺れであった。その時私は本震の震度6はどれほどすごい揺れだったのだろうかと非常に恐ろしい気持ちになった。この日は、ボランティアの方と小千谷市内を廻りながら、情報収集・連絡調整を行った。それぞれの避難所に行き避難者の方々を見ていると、正直なにもできない自分にもどかしさを感じたが、今やれる精一杯のことを行った。

 私はその夜に新潟市にもどることになった。もどってもしばらくの間は地震の影響なのか体が揺れている感じが続いた。今回ほんの3日間ではあったがその中でいろいろ大切なことを教わった。 
 今は当たり前のように電気ガス水道が使えるが、いざ使えなくなるとどれほどたいへんで大切なものであったか痛感させられたこと、避難所や家の庭などで近所の人たちで集まり励ましあいながら避難している人たちを見てあらためて人と人のつながりの大切さを教わったことなど再認識させられることばかりであった。

 今年の新潟県は、水害・地震・大雪と最悪な年でありましたが、一日でもはやく元の新潟県にもどり今後このような災害が発生しないことを祈るとともに、今回のことは一生忘れないであろう。

<写真右が筆者>

<写真右が筆者>

小千谷での活動と生活
【1日のスケジュール】
06:00 起床/朝食 
08:00 スタッフミーティング(本日の各人の行動確認)
09:00 各スタッフの活動
20:00 医療スタッフとのミーティング
    (地元医師会、保健士、市内で活動している医療スタッフ)
21:00 スタッフミーティング(本日の活動報告)
22:00 1日の活動報告書の作成
00:00 日赤本社、新潟県支部へ活動概要報告書FAX
01:00 終了/就寝
【災害外対策本部のメンバーと業務分担】
52新潟県支部:総合調整
日赤本社:本社との連絡調整・広報関係
第1ブロック支部:医療救護班運営
第2ブロック支部:こころのケア運営
第3ブロック支部:奉仕団(ボランティア)運営
【衣食住(男性・女性共通)】

  1.  常に救護服を身にまとい生活を行います。もちろん寝る時も緊急に備え、着替えて寝ることはありません。ひとり1着の貸与を受けていますので、日が経つ毎に臭いが・・・。中に着るTシャツは着替えます。

  2.  各個人(各県)ごとに持参し、被災者の炊き出しをいただくことはありません。発災当初はポテトチップスとチョコレートが主食になりました。地元のコンビニエンスストアやスーパーが開業し始めると、そこで食料を購入して食事を取りました。カップめんがこれほど美味しい物だと感じたことはありませんでした。

  3.  県外の応援スタッフは車の中で寝ます。新潟県支部の職員は緊急の連絡に備えて、災害対策本部で寝ました。ストーブをつけて寝るわけに行きませんので、朝は寒くて目が覚めます。
     ライフラインが復旧するまでは、頭を洗ったり、歯を磨くこともできませんでした。復旧後もお湯が無いので、水で頭を洗いました。
     トイレは外にある簡易トイレを借用しました。余震が続く中、必死に物につかまって用をたします。夜は懐中電灯を持参しました。
【医療スタッフミーティング】
大変な中、地元医師会の医師や保健士の みなさんは毎晩ミーティングに参加して いただきました。 こちらは頭が下がる思いでいっぱいでした。

大変な中、地元医師会の医師や保健士の みなさんは毎晩ミーティングに参加して いただきました。 こちらは頭が下がる思いでいっぱいでした。

 発災から数日後、地元医師会と保健士協力の下、小千谷市内で活動する医療スタッフの代表者が集まった「医療スタッフミーティング」を行うこととしました。
 ミーティングは毎晩8時より小千谷市総合体育館で行うこととし、救護活動が行われている間続きました。活動の連携や問題解決、情報交換や地元との関係を密にするという意味でもとても有効的なミーティングだったと思っています。
【自己完結型の徹底】
55 赤十字の救護活動には「自己完結」という言葉を共通認識としています。自己完結というのは、被災地において誰にも迷惑を掛けずに、活動だけを残して帰るという考え方です。
 具体的には、自分たちの衣食住は自分たちで完結させる、つまり被災地の方々に迷惑になる活動なら赤十字の救護活動の意味を成さないということです。ですから、県外から来た救護班や訓練された赤十字ボランティアは食料を持ち、寝袋を持ち、車の中で寝るのは当たり前だと思って新潟へ来てくれました。さらに過去の災害救護活動の経験を生かし、簡易トイレやガスコンロ等それぞれが必要と思う資材を持ってきました。感染症の関係から医療廃棄物は地元に協力をしていただきましたが、自分たちの出したごみは持ち帰ることも徹底して行いました。

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